夢想飛行−非連続線上の飛躍
保守思想は、国家主義と自由主義の圧力から伝統的価値観を墨守する中道である。仏教、神道に立脚した脱近代を志向する時期がきている。個人益ブログ、メモ帳です。
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一切唯心造−禅
人間の心と言えば、感情を指すもの、と認識されている。基本は、喜怒哀楽であるが、人間の感情は複雑怪奇である。
心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな
(最明寺入道時頼)
本来の心は一物もないものである。しかし、多種多様な感情に毒された「心」を、相手にするべきではない、ということである。これは、フッサールの現象学に近い考え方、意識によって世界の見え方が異なる、ということだと思う。
不仲の人が居るとして、その人が今何かをしたから憎いのではなく、自分自身の内にある記憶を憎んでいる。人間の心を形成するものは、相した記憶をもとにした価値判断、愛憎関係、歴史認識ということになる。 本来の心は鏡のような物で、鏡は現れた物が鏡に映る。しかし、人は鑑の前から物が消えても、「愛する物」や「心地よい物」であれば、残像を楽しみたいと思い、憎ければ記憶が甦り嫌がる。これは、鏡(心)が曇った状態であり、ありのまま見えず、あるものをあると認識できない状態になる。故に、西田哲学では、「自己がなくなる事で同時にそこから自己が生まれる事である」と表現している。曇った、捏造された自我が死滅し、そこに本来の自己(吾)が現れ、輝きを放つであろう。ここで、初めて自己と心が一体となれる。曇らせるものに、価値観、理屈等色々あり、それらを「妄想」とする、しかし、禅的イメージを伝えるには便宜的に理屈をこねる(笑)
簡略に言えば、無意識を意識するということである。
価値観で一番問題なのは、好き嫌いである。好きなことをするのが自由ではなく、好き嫌いの感情で正確な判断を出来ない事こそ「不自由」と考える。この好き嫌いの感情を消したり、コントロールするのは至難の業であるから「一切唯心造」である。先入観、思想、価値判断、歴史認識・・・人との出会いでもファーストインプレッションの大切さを語られる事から、これが事実であると理解できるでしょう。
つまり、禅とは精神的自由を説くものである。四季桜が、精神的な自由の素晴らしさを知ったのは、海外に出た時である。海外に出て、日本人コミュニティーも属さず、ある意味孤独、そして自立なくして生存なし、そういう世界で感じた事の一つに「開放感(社会の慣習風習)」があった。そして、見るもの全てが変って見え、色々なものが別世界として広がりを見せた。これは、自分の心の中にあった、自分自身の過去からの記憶、日本人はこうあるべきみたいな記憶、その自分自身の価値観が自分に強要していたにすぎない、と気がついた。自分から自分を解放すること、素直である事、自分自身に正直であること、精神を開放すること、それの大切さを実感として理解させられた。後に、「禅」を知り、居心地の良さを感じた。
政治ブロガーは特に、先入観、政治思想、ウヨサヨ論(パブロフの犬)に毒されている、それを踏まえて、一度、冷静になってみる、無意識を探ってみたらどうであろうか?悟った人同士の心の共振を「以心伝心」と言い、本物の心での出会いを「一期一会」と言う。

心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな
(最明寺入道時頼)
本来の心は一物もないものである。しかし、多種多様な感情に毒された「心」を、相手にするべきではない、ということである。これは、フッサールの現象学に近い考え方、意識によって世界の見え方が異なる、ということだと思う。
不仲の人が居るとして、その人が今何かをしたから憎いのではなく、自分自身の内にある記憶を憎んでいる。人間の心を形成するものは、相した記憶をもとにした価値判断、愛憎関係、歴史認識ということになる。 本来の心は鏡のような物で、鏡は現れた物が鏡に映る。しかし、人は鑑の前から物が消えても、「愛する物」や「心地よい物」であれば、残像を楽しみたいと思い、憎ければ記憶が甦り嫌がる。これは、鏡(心)が曇った状態であり、ありのまま見えず、あるものをあると認識できない状態になる。故に、西田哲学では、「自己がなくなる事で同時にそこから自己が生まれる事である」と表現している。曇った、捏造された自我が死滅し、そこに本来の自己(吾)が現れ、輝きを放つであろう。ここで、初めて自己と心が一体となれる。曇らせるものに、価値観、理屈等色々あり、それらを「妄想」とする、しかし、禅的イメージを伝えるには便宜的に理屈をこねる(笑)
簡略に言えば、無意識を意識するということである。
価値観で一番問題なのは、好き嫌いである。好きなことをするのが自由ではなく、好き嫌いの感情で正確な判断を出来ない事こそ「不自由」と考える。この好き嫌いの感情を消したり、コントロールするのは至難の業であるから「一切唯心造」である。先入観、思想、価値判断、歴史認識・・・人との出会いでもファーストインプレッションの大切さを語られる事から、これが事実であると理解できるでしょう。
つまり、禅とは精神的自由を説くものである。四季桜が、精神的な自由の素晴らしさを知ったのは、海外に出た時である。海外に出て、日本人コミュニティーも属さず、ある意味孤独、そして自立なくして生存なし、そういう世界で感じた事の一つに「開放感(社会の慣習風習)」があった。そして、見るもの全てが変って見え、色々なものが別世界として広がりを見せた。これは、自分の心の中にあった、自分自身の過去からの記憶、日本人はこうあるべきみたいな記憶、その自分自身の価値観が自分に強要していたにすぎない、と気がついた。自分から自分を解放すること、素直である事、自分自身に正直であること、精神を開放すること、それの大切さを実感として理解させられた。後に、「禅」を知り、居心地の良さを感じた。
政治ブロガーは特に、先入観、政治思想、ウヨサヨ論(パブロフの犬)に毒されている、それを踏まえて、一度、冷静になってみる、無意識を探ってみたらどうであろうか?悟った人同士の心の共振を「以心伝心」と言い、本物の心での出会いを「一期一会」と言う。

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